日本への期待
知的な楽しみ重視を
非軍事的な経済堅持評価
終戦直後に訪問して以来、私が日本に深い興味を持ち続けてきたことや、戦後の急速
な経済復興に感銘を受けたことはすでに触れた。
今回は日本の課題や日本への期待について述べてみたい。
日本経済は一九九〇年代以降、長期の停滞を続けてきたが、この原因については私な
りの見方がある。それは、日本人の生活上の基本的な欲求がすでに十分満たされてい
る、ということである。
自動車をはじめとして消費財はすでに保有しており、もう買う必要はない。一方、こうした
製品に代わって、人々の興味や関心を引くものは十分供給されていないのだ。
基本的な欲求が満たされれば、人々の関心はモノではなく、楽しみや知識に向かう。
芸術、科学、教育などである。
もちろん、日本もこちらに向かって進んではいるが、これらの振興にもっと努力すべき
だと思う。モノが満たされた社会では発展の方向はここにしかないからだ。
日本ではこれまで、製品の生産に関心が行き過ぎた面がある。
米国の力の源はモノの生産にあるのではない。大学など高等教育を重視してきたこと
や、芸術、スポーツなどが栄えてきたことに大きな特徴がある。世界は、もっと日本の
音楽や芸術であふれた方がいいと思う。
その意味で、日本と米国の問題は大きく異なると言える。前回述べたように、米国
経済の問題は所得分配が不公平である結果、十分な需要が生まれないことにある。富裕
層は所得を貯蓄に回す部分が大きく、消費が制約されるので、需要の流れが不十分にな
るのである。
これに対して日本では、国民全体の生活水準が高まったため、こうした問題は解決さ
れている。ところが、大衆が満たされた生活を送れるようになった結果、新たな消費が
生まれないという問題を招いているのである。
所得分配が公平な北欧諸国も、日本と同様の状況にあるのではないかと思っている。
日本はこれまでほかの国のまねをしようとしすぎた。これが日本の弱みである。多く
の人が欧米を見てどうすべきかを考え、自発性や自分自身の決断を軽視しすぎた。車な
ども欧米のデザインをまねているのをよくみかけた。自分のデザイン、自分の創意工夫
に日本人はもっと自信を持つべきだ。
こうした視点でみれば、工場が中国に移ってしまうといった中国脅威論は誤った心配
である。あまり経済パフォーマンスを考えすぎないことだ。日本には、人生の喜び、
楽しみといったほかの側面を重視する国になってほしいと思う。
GNP(国民総生産)に行き過ぎた関心を、GNE(グロス・ナショナル・エンジョイメント=楽しみ)に向
けるべきだと考える。
変わってほしくないこともある。私が日本を見ていて一番うれしいのは、経済が軍事
的な影響力から逃れている点だ。非軍事分野だけで強い経済を維持してきたのである。
これはこのままでいてほしいし、ほかの国もこの点は日本にならってほしい。
最近は日本には行っていない。日本がデトロイト(米自動車メーカーの本拠地)を見
習うのではなく、知的な楽しみを享受する国になっているかどうかを見るために、もう
一度日本を訪れたいと、と切に思う。
世界の将来
戦争の危険性認識を
米の威信、力の行使で低下
二〇〇一年九月十一日に起きた同時多発テロは、極めて残酷な出来事であった。テロ
の後に、人々の関心が「自分たちを守るにはどうすればよいのか」ということに向かっ
たのは理解できる。米国政府がテロの脅威に様々なやり方で対応しているのもよくわか
る。
しかし、私はテロに伴う脅威が冷戦期よりも深刻だとは思わない。第二次世界大戦後
は、核兵器を持ったソ連との衝突の不安を感じることなしに、朝目覚めることはなかっ
た。テロの脅威が、ある程度、ほかの行動の言い訳に使われているところもあるのではな
いか。
二十世紀、とくにその後半ば米国が経済でも政治でも支配的な影響力を持った。しか
し、最近はその影響力が弱まっている。イラク戦争に代表されるような力の行使がほか
の国々にマイナスの影響を及ぼしているのだ。とくに西欧でその傾向が強く、日本でも
同様の傾向が見られる。
これは一時的な現象かもしれない。だが、米国が国際的な影響力を強めようとすれば
するほど、米国は不人気になり、恐れられる。誤りの根源は、企業の利益と軍事的な影
響のもとで外交政策が実行されていることにある。米国の軍事行動は石油など中東での
経済権益を考慮したものだと多くの人が見ている。
そう見られている結果、米国の威信は弱まっているのである。
ほかの国の意向は気にしないという傾向は今の米国に限ったことではない。歴史を見
ても、軍事的、経済的に力がある国は、えてして力の行使に価値を見いだすものだ。
ソ連もそうだったし、日本もそうであった。力は使い方次第で良くも悪くもなるのだ。
私はかねて核戦争の危険性を強く訴えてきた。終戦後の日本でその脅威を目の当たり
にしたのがきっかけである。
今もその気持ちは変わらない。人類は多くのことを成し遂げたが、なお戦争を終わら
せることができないでいる。
二十一世紀がどんな世紀になるのか、今はわからない。われわれが賢く、戦争や敵意
に満ちた行動の危険性をよく認識した時に、はじめて平和という果実が得られるのだ。
もちろん、すべてが悪い方向に進んでいるわけではない。冷戦終結で、人類にとっ
ての脅威は大きく減った。これは第二次世界大戦後で最大の成果である。ロシアの人が
私の家を訪れ、ウオツカを飲んで楽しい会話に興じられるのも、両国の間に本当の平和
が来たからだ。また、大きな不幸の結果とはいえ、日本が平和を希求する最初の国にな
ったのは大きな喜びである。
私自身は、妻と六十年以上も連れ添い、良き子どもたちをさずかることができて、と
ても幸運だった。子どもたちには誇りを持っているし、彼らから学ぶことも多い。
最近新しい本を書き終えたばかりだが、私がいかに経済学を学ぶように
なったかについても本を書きたいと思う。とはいえ、この年ではもう多く
の本を書くことはできない。米国にはそのことを喜んでいる人もいるはず
だ。保守派の面々である。
多くの日本の方々が、私の本を読んでくださったことに感謝したい。人生を振り返っ
て後悔しているのは、日本語を読むことができないという
ことである。 (経済学者)
「私の履歴書」より
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